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たんぶるうぃーど
ぼくのほそ道 ブログトップ
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奥の細道 8/21 大垣 [ぼくのほそ道]

0821a大垣駅092.jpg
 
 元禄2年8月21日(新暦の1689年10月4日)、敦賀から関ヶ原を経て芭蕉と露通は、
結びの地大垣に着いた。
 露通は敦賀まで迎えに来てくれて、美濃の国へと連れ立って旅立った。
馬の力も借りて大垣の町に着くと、曾良も伊勢からやってきて、越人も馬を飛ばしてやって来て、
みんな如行の家に集まった。
親しくしていた多くの人々が昼も夜も無く訪れてきて、そりゃあもう一度死んでしまった人間が生き返ったような感じで、驚き、かつ喜び、そしていたわってくれた。
旅のなんとなく重い気分がまだ抜けやらないうちではあるが、9月6日になったので
伊勢の遷宮式(内宮:9/10、外宮:9/13)を拝もうと船に乗って伊勢に旅立つ事とする。
  
蛤(はまぐり)のふたみにわかれて行く秋ぞ

…はまぐりが蓋と身に分かれるように、私は親しい人と別れて二見を見に行こう。
季節も晩秋、寂しさが一層募ることだ。 
   

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奥の細道 8/14 敦賀 [ぼくのほそ道]

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 旧暦8月14日の夕暮れ、敦賀(つるが)の津に宿を求むる。
 その夜、満月直前のつきが綺麗だったので宿の主に、「明日も晴れるかな」と問うと
北陸の天気は予報できません」と言う。
 そんな主人に酒を勧められ、気比の神社に夜参りをした。
「その昔、遊行上人2世の方が自分自身で草を刈り参道を整備し、大願を願ったことから
代々伝わり、遊行上人が神前に白砂を背負って運ばれることを今もしています。
これを遊行の砂持ちと申します」と宿の主人が話してくれた。
 その話の通り、月の光が差し込み白砂に霜をしいたように見える。

 ここで一句

月清し遊行のもてる砂の上

 次の十五夜は、主人の言ったとおり雨が降った。

名月や北国日和さだめなき


 私が訪問したのは、8年前の大晦日。
霜を敷きしめてではなく、雪が降っていました。

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奥の細道 8/11 福井 [ぼくのほそ道]

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 旧暦8/11、夕食を食べてから福井へと向かったが、夕暮れの道は暗くて難儀した。
福井には「等裁」と言う昔からの知り合いがいて、もうかれこれ10年以上も会っていない。
もしかしたら、老いぼれたり、死んでしまったかもしれないと思いながら訪ねた。
 
 自宅を訪ねると奥さんが出てきて、主人はどこそこに出かけているので
行ってみてくださいとのことであった。
 その家で二泊し、敦賀に向かうと言うと等裁は一緒に道案内するとウキウキしながら同行した。

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奥の細道 8/11 丸岡・永平寺 [ぼくのほそ道]

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 旧暦8/11、全昌寺から一旦、日本海側に向かい西行ゆかりの「汐越しの松」を見物。
そして、2つのルートが考えられるが天龍寺、永平寺へと向かった。
 東側のルートを通れば丸岡城の城下を通ったことになる。

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奥の細道 8/8 全昌寺 [ぼくのほそ道]

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 旧暦8月8日、加賀の国の全昌寺に泊まった。
山中温泉で別れた曾良も前夜この寺に泊まり
「よもすがら秋風聞くやうらの山」と
詠んでいた。

 それを見るにつけ、別れの寂しさで曾良と同様、眠ることが出来なかった。
翌朝、若い僧の求めるまま句を与えて越前の国へと向かった。

庭掃いて出でばや寺に散る柳

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奥の細道 8/5 那谷寺 [ぼくのほそ道]

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 旧暦8月5日、那谷寺(なたじ)に寄った。
ここは花山法皇が巡礼をし、那谷と名づけたゆかりの地であり
奇石、古松に囲まれ茅葺の小堂が岩山にある殊勝の土地である。

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奥の細道では山中温泉に行く途中で立ち寄ったように記載されているが
山中温泉から小松に向かう途中で寄ったようなのでその順番に従うことにしました。

 那谷寺は717年創建、後に花山法王が西国33箇所一番札所「那智山青岸渡寺」の「那」と、
33番札所「谷汲山華厳寺」から「谷」の1字づつとって「那谷寺」と命名したと言われています。
 

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奥の細道 7/27-8/5 山中温泉 [ぼくのほそ道]

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 奥の細道 旧暦7月27日 山中温泉に着いた。

山中温泉に入浴する。その効能は有馬温泉に次ぐという。

 山中や菊はたをらぬ湯の匂
   …山中温泉は良いなぁ。長寿の効用を言われる菊を手折って匂いを嗅いだりしなくても
    湯の香りだけで十分に命が延びる感じがするよ

写真は、 菊の湯・男館。女館はこの左手奥に有ります。

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奥の細道 7/25 小松 [ぼくのほそ道]

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小松(本折日吉神社・多太神社・安宅の関)
  
 奥の細道 旧暦7月25日、金沢を経ち、小松に入る。
ここは一泊の予定だったが、土地の皆に止められ三泊した。
小松では、多太神社(ただ)、本折日吉神社などを訪問した。
本折日吉神社では、次の句を詠んだ。

しおらしき 名や小松吹く 萩すすき 
   …小松とは、しおらしい名前だことよ。 秋風が、萩やススキにも吹きかかっている


本殿の左手の奥に芭蕉留杖の地碑と円筒状の解説&『しほらしき…』の歌が刻まれた碑が有ります。
 

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奥の細道 7/15-24 金沢 [ぼくのほそ道]

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 旧暦7月15日芭蕉と曾良は金沢入りしました。
大阪から通う商人・何処(かしょ)が来ていたので会い、浅野川に架かる中島橋近くの
京屋吉兵衛の家で共に一泊、そこで竹雀と一笑に使いを出す。

竹雀は片町で旅籠を営み、そこに宿泊する事になっていた。
又、一笑も金沢に来たら我家に泊まって欲しいと言って来ていた。
芭蕉のファンである一笑(本名:小杉味頼、通称:茶屋新七)に会うのを楽しみにしていたが、
彼は前年の暮れに亡くなっていた。

 翌日、宿を片町に移し7/24日まで金沢に滞在することになる。


 写真は、片町の交差点にある「芭蕉の辻」標。
『元禄2年向秋 芭翁奥の細道途足跡』の文字が見えます。
ここから南西に犀川大橋を渡ると寺町です。

金沢の芭蕉の辻は芭蕉に関係有りますが、
仙台市内の地名・芭蕉の辻は松尾芭蕉とは関係有りません(~~;

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奥の細道 7/14 奈呉の浦 & 高岡 [ぼくのほそ道]

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 1689年旧暦7月14日、芭蕉と曾良は奈呉の浦(富山県射水市 新湊地区)に着いた。

 黒部四十八か瀬とか言う数知れない多くの川を渡って那古という浦に出た。あの有名な担籠の藤の花は春ではなくてもしみじみとした趣があるだろうから人に尋ねて見ると、「ここから5里ほど海岸を歩いて向こう側の山影に有るが、宿を貸すものなどいないだろう」と脅かされて加賀の国に入る。

 早稲の香や分け入る右は有磯海  
   …ここでは早稲が一杯実って香りが漂っているよ。それを掻き分けて進むと右には有磯海が見える。

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